2005.04.16

菅江真澄の山本町

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 先日の山本町でびっくりしましたのが幾つかありましたね。
その一つに、菅江真澄。
あの、風俗・習慣を記録した紀行文学家として有名な三河の国の菅江真澄が、200年前の山本町を4回も訪れています。
そして、文章と絵が残っていまして、その絵と同じ風景も残ってました。
写真がその場所です。
鳥居が200年前のものと思えないのですが、作り替えた方は復元も確かにできる腕の持ち主。
秋田の発掘から何千年も前からの発掘品に見られるように、ものづくりの上手な人々の郷であった様ですが、ここもそうだったようですね。

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2005.04.12

今日は春を告げるお祭りでした。  秋田の話

 秋田の大町(旧川反1丁目)に福一満星辻神社があります。
昔、大火があった際、ここに移転する前のところでこの神社は火災に免れたと言う事で火伏の力がある神社として有名だそうです。
 私の目撃した事でこんな事がありました。
もう20年ぐらい前になるでしょうかね。
干ばつで農家が困っていた夏、農業関係者が雨乞いをしていたのです。
秋田は農家の稼ぎがないと大変困る県経済です。降水量が気になっていたのは私ばかりでないのは確かな渇いた夏でした。
時は数時間後に東北三大祭りの一つ、竿灯まつりが始るところでしたね。30〜40万人の観光客が集まっています。秋田県は観光も大切な収入源です。
丁度、竿灯が始るその時に、風と強い雨が降り出しました。
観光客が・・・
この星辻さん、お祭りの日に雨が降らないとその年に大火があるとも聞きます。
お札を頂いた方はセロテープや画鋲よりご飯粒でとめるのがいいそうですよ。
 願掛けのだるまさんは、片目だけ入れておいて、願いが叶った時に残った方にも目を入れてあげるのだそうです。
可哀想なので、はじめから両方目が入っているのが売れているようにも感じましたがどうだったでしょうかね。
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2005.04.11

菅江真澄の話

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 今日は久々に山本町に取材に行って来ました。
山本町って言ってもジュンサイが生で美味しい郷、それ位にしか見られなかったのですがその地域性や豊かな森林の山と田畑は、太古、縄文、蝦夷の時代、平安の頃も豊かな生活をしていた人々の郷の様です。
あの小野小町が晩年、目の具合が悪いので杖を頼りにやって来たものの房住山(ぼうじゅうさん)に登って眼病が治るように祈りたいのに険しくて登れなかったそうです。すると、足元に清水が湧きその水で目を洗うと、目がたちどころに善くなったそうです。それで、小町という地名が残っているそうです。
 地名と言えば、長面。小町も長面も共に房住山昔物語からの話です。
あの菅江真澄の書き残した話です。三兄弟の話は次回に。

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2005.03.16

払田柵跡 秋田の話

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秋田県 払田柵跡。律令国家が本州の北部を支配するために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつ。平安時代の9世紀始めから10世紀後半迄。
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今年は雪が多いそうです。
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1000年前もこんなに降ったんでしょうかね。
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2005.02.24

払田の柵 秋田の話

払田の柵(ほったのさく)仙北郡仙北町にあります。
 律令国家が本州の北部をしはいするために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつです。平安時代の9世紀初めに作られ、10世紀の後半まで続きました。
 第125〜128次調査の報告です。まだ全体の6%しか出来ないでいるそうです。科学的な調査が可能な時期に入りましたので是非大掛かりに発掘して頂きたい場所です。
秋田の先住民と律令国家支配の大和の人々の物語がここに眠って居る様に思えますのは私だけでしょうかね。
中世「堀田城趾」として周知されていた場所がもう破壊されていると考え触って無かったそうですが、今回縄文時代、平安時代、中世の各時代の遺構・遺物がみつかったそうです。範囲を広げて調査して頂きたいですね。

ところで、お墓が見つかったそうです。ただ、周りには無くひとつ。そしてその遺骨のつぼを埋めた時に煎った玄米を土に混ぜて葬っているんですね。
煎った玄米は芽が出ません。再生を防ぐまじないのようでは無いでしょうかね。

すると、この人は誰だったんでしょうかね。
この柵の偉い人と考えると可哀想では無いですか。京都なり実家に帰って埋葬されたいですよね。
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どんなオマジナイだったんでしょうね。

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2005.02.23

堀ノ内(ほりのうち)遺跡 秋田の話

3000年前から、お晩です。

秋田県湯沢市上関字堀ノ内の堀ノ内(ほりのうち)遺跡から見つかりました。
縄文時代の河原にあった墓地の様ですね。
気になるのが四枚目の説明パネル。ストーンサークルでは在りませんが、石が並べられお約束のように焚き火の後が残ってますね。ストーンサークルの周りは墓地になってない様ですが、何か略式の祭事があったのでしょうかね。

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アスファルトが矢の結んでる所や、土偶の首の処などに使われていました。
何処から持って来たアスファルトでしょうね。
秋田市界隈からでしょうかね。狩猟や船の防水には高価な接着剤として使われていた様ですから、土偶もとても大事なものなんですよね。
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石の下に何も無かったと嘆いておられましたが、異次元との交流の石並べで在れば、モノは無いですよね。
神界や幽界とのこの世との交流の場。

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2005.02.20

発掘報告 秋田の話

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今日も本荘です。
『この秋田にはどんな人が住んで来たのか・・・』これが私の関心の在る処なんですよね。
それで、国立歴史民俗博物館助教授の千田嘉博さんの講演が面白かったですね。

 秋田市の虚空蔵大台滝遺跡(こくぞうおおだいたきいせき)は、後三年の役(〜1087年)のころの館後なんですがね、これが、切岸(きりきし:山城を作る際、自然の斜面を急な斜面に削り出し、登ることができないようにした防御施設)と空堀(からぼり:城や館を守るために溝状に掘られた施設)から出来てたんですって。

ところがこの工法、室町時代(1336〜1573年)に見られるモノですって!

前九年・後三年の役は、大和には無かった戦術や兵法・防御システムが駆使されていたんですね。

調べるにしましてもね、文字資料・絵画資料そして発掘による現場の観察による資料をですね、その当時の人々が考えていたこと、大切にしていたことにも気配ることが楽しいと仰ってました。

 なんでも、攻め入る館から運気が立ち上っていたら攻めても落ちないが、運気がダラーッとなびいていたら簡単に攻められるんですって。こんな話を真面目に論じていたという。

似たようなものが見えるって人、今も居ますよね。私では無いですがね。

 家を建てる時、災いのない様に、文字や記号のお皿みたいなものをうめたり、鬼門を避ける工夫を施すのが大切なことだった。そんな人が残したものを発掘して、そこから見つかった器に、そこに住んだ人の喜びや楽しんでいる姿を想像するのがたのしいですよね。

って、発掘報告に『人』がなかなか出て来ないのでむずかっていた私でしたが、これからの発掘調査には『人が生きていたストーリ−』がものの見方になっていくようですね(^^)

写真は縄文時代の森吉町から出土した土偶。・・・可愛い。

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2005.02.19

埋蔵文化財 秋田の話

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 今日は本荘市に行って来ました。
秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会が本荘文化会館で行われたんです。
今日と明日の二日間です。
担当の方々が個性的に発表為さってましたね。

 日本列島には約三万年前から人が住んでいるという事が判っているそうですが、
その頃から、秋田にも人が住みついてるんですね。
自動車道とダムの関係で発掘が出来て居る様ですがね。
沢山残ってる遺跡の発掘がどんどん発見されてどんな人がどんな風に住んで来たか理解出来たら善いですよね。

 本荘市教育委員会教育長 片倉幹男さんが挨拶で、『私達の先人は文化をつくりだす創造欲、モノ造りにエネルギーやアイデアを持っていた』
と、御感想がありました。
正にその事です、秋田は遺跡のテーマパークにして欲しいですよね。

写真は秋田市の秋田城址。出羽柵。今回は発表は無かったです。

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2005.02.14

火振りかまくら 秋田は角館の話

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 かまくらと言いましても、雪で創ったお堂はありません。
角館の火振りかまくらです。
地元の人に指摘頂きましたが、秋田市内にも仁井田という地区でも行われている様です。火振りかまくら。仁井田のは、一月でしたでしょうかね。

 角館の火振りかまくらは、毎年二月の十四日に行われている様です。
13日のは、イベントの様ですね。
 地区毎に行われていましたね。
桧木内川沿いでは、6ケ所他に4ケ所が角館町のサイトに案内が出てました。
駐車場から歩きました。今日は六時から始っていた様です。
橋の処に着いたらもう終わって仕舞う所ばかりでしてね、奥へ奥へと進みました。
(帰りは駐車場まで30分歩きました。)
写真は、春の桜並木で有名な桧木内川沿いです。

 先週もお芝居に行けずにドタドタした夕方になっていたように、今日も出掛けるのが遅くになったのですがね、今日は幸運でした。

 駐車場からは一番奥でといいますか、駐車場から30分の処の地区の人たちは八時過ぎまでまわしてましたね。ラッキ−。

高い所から失礼でしたが、声を掛けてお願いしたら答えて下さいましてね。ホームページ用のいいのが撮れました。地区の皆さんはじめ今野正則さんありがとう。

河川敷き沿いの一時間は身体が冷えきったのでテントのある方へ行きましたら、またまたラッキー。

この地区の方々がおもてなしのうどん・そば・おでんを振るまってましたよ。

西勝楽町二区下屋敷丁内の方々です。

火振りかまくらは万灯火(まとび)ですかね、とお聞きしましたがね。(東日本で行われる盆行事の一)
(お釈迦さんのお弟子さんのモクレンさんみたいに食事を振る舞っていますのでね)

なんでも、厄よけ・厄祓いだそうです。

今度は回させてもらいましょうかね。

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2005.02.10

西木村の紙風船 秋田の話

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