2005.04.16

菅江真澄の山本町

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 先日の山本町でびっくりしましたのが幾つかありましたね。
その一つに、菅江真澄。
あの、風俗・習慣を記録した紀行文学家として有名な三河の国の菅江真澄が、200年前の山本町を4回も訪れています。
そして、文章と絵が残っていまして、その絵と同じ風景も残ってました。
写真がその場所です。
鳥居が200年前のものと思えないのですが、作り替えた方は復元も確かにできる腕の持ち主。
秋田の発掘から何千年も前からの発掘品に見られるように、ものづくりの上手な人々の郷であった様ですが、ここもそうだったようですね。

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2005.04.12

今日は春を告げるお祭りでした。  秋田の話

 秋田の大町(旧川反1丁目)に福一満星辻神社があります。
昔、大火があった際、ここに移転する前のところでこの神社は火災に免れたと言う事で火伏の力がある神社として有名だそうです。
 私の目撃した事でこんな事がありました。
もう20年ぐらい前になるでしょうかね。
干ばつで農家が困っていた夏、農業関係者が雨乞いをしていたのです。
秋田は農家の稼ぎがないと大変困る県経済です。降水量が気になっていたのは私ばかりでないのは確かな渇いた夏でした。
時は数時間後に東北三大祭りの一つ、竿灯まつりが始るところでしたね。30〜40万人の観光客が集まっています。秋田県は観光も大切な収入源です。
丁度、竿灯が始るその時に、風と強い雨が降り出しました。
観光客が・・・
この星辻さん、お祭りの日に雨が降らないとその年に大火があるとも聞きます。
お札を頂いた方はセロテープや画鋲よりご飯粒でとめるのがいいそうですよ。
 願掛けのだるまさんは、片目だけ入れておいて、願いが叶った時に残った方にも目を入れてあげるのだそうです。
可哀想なので、はじめから両方目が入っているのが売れているようにも感じましたがどうだったでしょうかね。
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2005.04.11

菅江真澄の話

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 今日は久々に山本町に取材に行って来ました。
山本町って言ってもジュンサイが生で美味しい郷、それ位にしか見られなかったのですがその地域性や豊かな森林の山と田畑は、太古、縄文、蝦夷の時代、平安の頃も豊かな生活をしていた人々の郷の様です。
あの小野小町が晩年、目の具合が悪いので杖を頼りにやって来たものの房住山(ぼうじゅうさん)に登って眼病が治るように祈りたいのに険しくて登れなかったそうです。すると、足元に清水が湧きその水で目を洗うと、目がたちどころに善くなったそうです。それで、小町という地名が残っているそうです。
 地名と言えば、長面。小町も長面も共に房住山昔物語からの話です。
あの菅江真澄の書き残した話です。三兄弟の話は次回に。

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2005.03.16

払田柵跡 秋田の話

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秋田県 払田柵跡。律令国家が本州の北部を支配するために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつ。平安時代の9世紀始めから10世紀後半迄。
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今年は雪が多いそうです。
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1000年前もこんなに降ったんでしょうかね。
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2005.02.24

払田の柵 秋田の話

払田の柵(ほったのさく)仙北郡仙北町にあります。
 律令国家が本州の北部をしはいするために設置した行政・軍事・祭事を司る城柵のひとつです。平安時代の9世紀初めに作られ、10世紀の後半まで続きました。
 第125〜128次調査の報告です。まだ全体の6%しか出来ないでいるそうです。科学的な調査が可能な時期に入りましたので是非大掛かりに発掘して頂きたい場所です。
秋田の先住民と律令国家支配の大和の人々の物語がここに眠って居る様に思えますのは私だけでしょうかね。
中世「堀田城趾」として周知されていた場所がもう破壊されていると考え触って無かったそうですが、今回縄文時代、平安時代、中世の各時代の遺構・遺物がみつかったそうです。範囲を広げて調査して頂きたいですね。

ところで、お墓が見つかったそうです。ただ、周りには無くひとつ。そしてその遺骨のつぼを埋めた時に煎った玄米を土に混ぜて葬っているんですね。
煎った玄米は芽が出ません。再生を防ぐまじないのようでは無いでしょうかね。

すると、この人は誰だったんでしょうかね。
この柵の偉い人と考えると可哀想では無いですか。京都なり実家に帰って埋葬されたいですよね。
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どんなオマジナイだったんでしょうね。

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2005.02.23

堀ノ内(ほりのうち)遺跡 秋田の話

3000年前から、お晩です。

秋田県湯沢市上関字堀ノ内の堀ノ内(ほりのうち)遺跡から見つかりました。
縄文時代の河原にあった墓地の様ですね。
気になるのが四枚目の説明パネル。ストーンサークルでは在りませんが、石が並べられお約束のように焚き火の後が残ってますね。ストーンサークルの周りは墓地になってない様ですが、何か略式の祭事があったのでしょうかね。

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アスファルトが矢の結んでる所や、土偶の首の処などに使われていました。
何処から持って来たアスファルトでしょうね。
秋田市界隈からでしょうかね。狩猟や船の防水には高価な接着剤として使われていた様ですから、土偶もとても大事なものなんですよね。
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石の下に何も無かったと嘆いておられましたが、異次元との交流の石並べで在れば、モノは無いですよね。
神界や幽界とのこの世との交流の場。

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2005.02.20

発掘報告 秋田の話

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今日も本荘です。
『この秋田にはどんな人が住んで来たのか・・・』これが私の関心の在る処なんですよね。
それで、国立歴史民俗博物館助教授の千田嘉博さんの講演が面白かったですね。

 秋田市の虚空蔵大台滝遺跡(こくぞうおおだいたきいせき)は、後三年の役(〜1087年)のころの館後なんですがね、これが、切岸(きりきし:山城を作る際、自然の斜面を急な斜面に削り出し、登ることができないようにした防御施設)と空堀(からぼり:城や館を守るために溝状に掘られた施設)から出来てたんですって。

ところがこの工法、室町時代(1336〜1573年)に見られるモノですって!

前九年・後三年の役は、大和には無かった戦術や兵法・防御システムが駆使されていたんですね。

調べるにしましてもね、文字資料・絵画資料そして発掘による現場の観察による資料をですね、その当時の人々が考えていたこと、大切にしていたことにも気配ることが楽しいと仰ってました。

 なんでも、攻め入る館から運気が立ち上っていたら攻めても落ちないが、運気がダラーッとなびいていたら簡単に攻められるんですって。こんな話を真面目に論じていたという。

似たようなものが見えるって人、今も居ますよね。私では無いですがね。

 家を建てる時、災いのない様に、文字や記号のお皿みたいなものをうめたり、鬼門を避ける工夫を施すのが大切なことだった。そんな人が残したものを発掘して、そこから見つかった器に、そこに住んだ人の喜びや楽しんでいる姿を想像するのがたのしいですよね。

って、発掘報告に『人』がなかなか出て来ないのでむずかっていた私でしたが、これからの発掘調査には『人が生きていたストーリ−』がものの見方になっていくようですね(^^)

写真は縄文時代の森吉町から出土した土偶。・・・可愛い。

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2005.02.19

埋蔵文化財 秋田の話

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 今日は本荘市に行って来ました。
秋田県埋蔵文化財発掘調査報告会が本荘文化会館で行われたんです。
今日と明日の二日間です。
担当の方々が個性的に発表為さってましたね。

 日本列島には約三万年前から人が住んでいるという事が判っているそうですが、
その頃から、秋田にも人が住みついてるんですね。
自動車道とダムの関係で発掘が出来て居る様ですがね。
沢山残ってる遺跡の発掘がどんどん発見されてどんな人がどんな風に住んで来たか理解出来たら善いですよね。

 本荘市教育委員会教育長 片倉幹男さんが挨拶で、『私達の先人は文化をつくりだす創造欲、モノ造りにエネルギーやアイデアを持っていた』
と、御感想がありました。
正にその事です、秋田は遺跡のテーマパークにして欲しいですよね。

写真は秋田市の秋田城址。出羽柵。今回は発表は無かったです。

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2005.02.14

火振りかまくら 秋田は角館の話

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 かまくらと言いましても、雪で創ったお堂はありません。
角館の火振りかまくらです。
地元の人に指摘頂きましたが、秋田市内にも仁井田という地区でも行われている様です。火振りかまくら。仁井田のは、一月でしたでしょうかね。

 角館の火振りかまくらは、毎年二月の十四日に行われている様です。
13日のは、イベントの様ですね。
 地区毎に行われていましたね。
桧木内川沿いでは、6ケ所他に4ケ所が角館町のサイトに案内が出てました。
駐車場から歩きました。今日は六時から始っていた様です。
橋の処に着いたらもう終わって仕舞う所ばかりでしてね、奥へ奥へと進みました。
(帰りは駐車場まで30分歩きました。)
写真は、春の桜並木で有名な桧木内川沿いです。

 先週もお芝居に行けずにドタドタした夕方になっていたように、今日も出掛けるのが遅くになったのですがね、今日は幸運でした。

 駐車場からは一番奥でといいますか、駐車場から30分の処の地区の人たちは八時過ぎまでまわしてましたね。ラッキ−。

高い所から失礼でしたが、声を掛けてお願いしたら答えて下さいましてね。ホームページ用のいいのが撮れました。地区の皆さんはじめ今野正則さんありがとう。

河川敷き沿いの一時間は身体が冷えきったのでテントのある方へ行きましたら、またまたラッキー。

この地区の方々がおもてなしのうどん・そば・おでんを振るまってましたよ。

西勝楽町二区下屋敷丁内の方々です。

火振りかまくらは万灯火(まとび)ですかね、とお聞きしましたがね。(東日本で行われる盆行事の一)
(お釈迦さんのお弟子さんのモクレンさんみたいに食事を振る舞っていますのでね)

なんでも、厄よけ・厄祓いだそうです。

今度は回させてもらいましょうかね。

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2005.02.10

西木村の紙風船 秋田の話

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2005.02.08

冬祭り 秋田の話

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 春を待つ小正月行事が今週から始りますね。
■西木村の風船。
プーケット島の慰霊でも上げてましたがね、似た行事があるものですね。

 この行事の始まりを書き溜めたものはないそうです。伝説では江戸時代の科学者である平賀源内が、銅山の技術指導に訪れた際に、熱気球の原理を応用した遊びとして伝えたとも言われているそうです。
以前は五穀豊穣や家内安全を願う「虫焼き」(田圃に稲わらを積み火をつけるもので、どんと焼き、天筆とも呼ぶ)と同時に行われて、民族信仰の遺産と位置付けられています。戦争をはさみ一時期中断したこの行事も、地元上檜木内の有志による熱心な取り組みで復活し、冬の風物詩となりましたね。
<開催日時>
 平成17年2月10日(木)
プログラム(予定)    
1. 開 場
 ●神殿参拝
 ●紙風船願い事書きコーナー ━ 午後3時00分
2. ふるさと芸能発表
 ●風船太鼓 鈴木隆行社中
 ●民謡手踊り 鈴木順子社中 ━ 午後3時30分
3. 昼紙風船上げ
 ●学校関係・集落代表 ━ 午後4時40分
4. あいさつ ━ 午後5時40分
5.各集落紙風船の競演(一斉打上げ) ━ 午後6時00分
6.各集落紙風船の競演(一斉打上げ)
 ●願い事書きコーナー紙風船上げ ━ 午後7時00分
7.各集落紙風船の競演(一斉打上げ) ━ 午後8時00分

■大館のアメッコ
400年の伝統を誇る冬の風物詩 大館アメッコ市 が開催されます。
 『この日にアメを食べると風邪をひかない』と伝えられるアメッコ市の起源は、天正16年(1588年)だそうです。
秋田は檜山の安東愛季が亡くなって実季が後をついだ翌年ですね。当時は民俗行事でしたが長年行われ続けたそうで、昭和47年から現在のように大館市の大町中央通りで開催されるようになったそうです。
 大館市の近くの山から神様がアメを買いにやってくるという言い伝えを再現した「白髭大神巡行」や「秋田犬パレード」をはじめとした様々なイベントが両日行わるそうですね。

<開催日時>
 平成17年2月12日(土)〜2月13日(日)

<開催会場>
 大町中央通り

■2005森岳温泉冬まつり
  2月12日(土)、13日(日)の両日、惣三郎沼公園を会場に恒例の森岳温泉冬まつりが開催されますね。
 今年は初の試みである「じゅんさい千人鍋」や子どもたちに大人気の「馬そり運行」、「1,000連の干し餅カーテン」などをメインに、さまざまなイベントを行うそうです。気になる伝説の長面3兄弟も登場するそうですね。楽しみですね。

★2月12日(土)惣三郎沼公園・午後3時スタート
・15:00〜 なつかしい食のコーナー(餅焼き・けだて・じゅんさい汁・甘酒など)
・16:00〜 ミニかまくら・かがり火点灯
・16:10〜 雪像コンテスト表彰式
・17:30〜 伝説の長面3兄弟出現!!
・18:00〜 音楽と花火ショー

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2005.02.06

雪まつり 秋田の話

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 秋田の八橋と云うと、日本でも石油が出るんだねって話を県外の人とする事もありますけれどね。
今日は『童(わらし)っ子の雪まつり』がありましたので覗いて来ました。
むかしは、街角で遊んで居た子供達も車社会ですので変わりましたね。家の側でのそり遊びは運転をする身にとっては辞めてもらいたいので、この公園での様子は親子が楽しそうで微笑ましかったです。
 今回は二日間の開催で、昨夜は、ぼんでん・火振りかまくら・西木村の風船上げが行われていた様です。
全国に出前かまくらと云って雪を持って行っては並んで見て頂いている人気のある「かまくら」ですが、ここでも並んで順番に記念写真を撮ってましたね。
屋台が沢山でていてとても賑わっていました。

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2005.01.18

続・秋田市・太平山三吉神社ぼんでん祭り 秋田の話

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秋田県内市内と

秋田にはいっぱいボンデン祭りがあります。ここだけ、『けんかボンデン』といいますね。地域の住民同志が信頼しきってぶつかりあって、仲良くお酒飲んでる様ですよ。
旧町内の人たちの奉納にはそんな楽しみ方を判っていて、お守りを振る舞ったり競い合ったりしてるようでした。
ほんの数分の持ち時間のようですから、反省会もあるんでしょうね。
なにより、善いお酒がまっていそうでした。

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2005.01.17

秋田市・太平山三吉神社ぼんでん祭り 秋田の話

17011701太平山三吉神社(田村泰教宮司)のぼんでん祭りが17日、秋田市広面の同神社で行われました。
「ジョヤサ、ジョヤサ」の掛け声とともに、はんてん姿の若衆たちが激しい先陣争いを繰り広げるお祭りです。

 午前10時半ごろ、「梵天唄(ぼんでんうた)」を歌いながら、赤や白、黄色など色とりどりのぼんでんが市内各地から集まりました。ことしは学校や企業など73団体が91本を奉納とのことですね。
同神社に祭られる力の神「三吉霊神」にあやかろうと、若衆たちは境内にある幅約2・5メートルの狭い階段を一気に駆け上がります。われ先に奉納しようと激しくもみ合うと、見物客から拍手や大きな歓声がわきます。

17011702  このぼんでんに付いている三角のお守りを奉納前に奪い合うんですね。それで、なかなか前に進めない様子になる様ですね。
木札と何かを神社に我先に奉納しようとしているようでした。

神社の入り口に居たのですがね、木札が私に飛んで来てカメラにぶつかって暫く、私と隣の人のとこにありまして・・・

ところで、激しく奪い合っていたお守り見せてもらいました。
雄和町の佐藤さんです。
ひとつ下さいました。なかなか綺麗なものですね。

17011703写真:ぼんでんをかつぎ駆け上がる若衆たち
写真:お守りを見せてくれた、お守りと雄和の佐藤さん
写真:頂いたお守り

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2004.12.03

職人さんは地域の宝

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 今日も職人さんと会えました。
それでこのところ会う職人さんは、お父さんや自分に仕事を伝えた人に対しての尊敬が必ずと言っていい程会話の中に出て来ます。
今日の職人さんのお父さんの弟子の方は、平泉の修復にたずさわったそうで腕が良く中央に行き、その後、今は仙台で現役の90歳だそうです。
職人さんのお父さんは、脚が悪かったそうで、その分技術を高める事に努力と各地での修行をおさめ自分の技法(乾燥させた漆を粉にして絵を書き漆でコーティングして磨きをかける)仁右衛門塗りを造り出したそうです。
そうなんです、職人さんの奥さんは美人さんなんです。いきいき為さってるんですよね。
そんな家族が町や村に一杯居て、いろいろな衣・食・住の産業が地域を支えていた時代が有りましたよね。
ここを忘れると大変な事になりそうです。

明日は結婚式の撮影なので早く寝ましょう。

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2004.12.01

生活の道具と職人さん

 今、職人さんのこだわりを紹介するお店を開く準備をしています。
それで、県北に行ったり県南にと歩いているのですけれどね。
もうそろそろお店が開けそうです。
 職人さんのこだわりは、私にはピカピカに光ってました。
この職人さん一人一人の造り出しているものは工芸品と呼ぶ物ですがね、決して戸棚の奥に飾っておく物では無くて、毎日の食卓や憩いの時間、側で人の心や身体を癒し元気のもとになる、食事・お茶等の道具たちです。
今風に扱うと壊す人もいるかも知れません。
杉の白木・樺・漆・ブナと付き合う時、自己流ではない作法が必要かも知れません(自然科学の単純な仕組みなのですけれどね)。
でもそれは、ここ20〜30年忘れているだけで400〜500年くり返して来た人の営みです。
その営みを生活に顧みながら、道具を楽しみましょう。
 古き良き時代の人の仕種、作法。凛とした後ろ姿。
この道具たちはいつも側に有りましたね。
合理性最優先では得られない充実感があります。
 そうなんです。
この職人さんたちには共通して凛とした姿をお持ちでしたね。

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2004.11.27

今日は写真の納品 秋田の話

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 今日は、昭和2年に建った教會堂の修復が今年行われたので、その完成写真を届けて来ました。
木造で檜が使われ建設当時の意気込みが感じられる物が有りましたね。
お話を聞いているとですね、工夫がなされている事を理解して手を入れて行かないと腐ってしまうところだった様です。
 秋田は過去の遺産的建造物が無くなって行く町なので、此の建物が修復なされた事に拍手ですね。

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2004.11.17

雁の里せんなん 秋田の話

 湯沢・稲川町の帰りに、<雁の里せんなん>に寄って来ました。
 教科書の歴史では、源氏が独り舞台で残されてるようですね。
その後、奥州藤原氏が台頭する、前九年・後三年の役の舞台、金沢の柵の近くです。
実はあの戦いが、日本での婦女子が戦利品になった最初だそうですね。
 最初と言えば、ここの柵に来る前の沼の柵の戦いで、源氏の馬に背負わせていた大豆が、わらの中で発酵したのが、納豆のはじまりです。

 珍しく、高速バスの停留所がある道の駅ですね。
道の駅になる前は、仙南の物産館だけが有りましたが、見つけにくく素通りしてましたね。夜、八時まででしたので、間に合いました。
発見が合ったり、見つけられたりと、私的に楽しみなところなんです。
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 赤飯まんじゅう。1ヶ110円
甘味の有る赤飯に、しろ醤油を皮につかて有り旨味が有ります。

これを見た時、先日友人から聞いたばかりのパンの話を思い出しましてね。
なんでも、イギリスに住む大福好きの友人を驚かせようと、大福をパンの中に入れて持って行ったんですって。
びっくり、大福パン。
美味しそ〜。

今日の気分だと、ヨモギいっぱいのお餅に、半殺しの餡で、フランスパン風のパンにくるまれたの食べたいですネ〜。

雁の里せんなん・後三年の役・納豆・赤飯まんじゅう・大福パン

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2004.11.14

遺跡 秋田の話

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1000年、4000年から帰りました。
米代川流域は古くから人の営みがあったんですね。
違う生活風習の人同志で、100年にわたってストーンサークルを造っていたんですってね。
今の人より、協調性に富んだ文化の人々の土地だったんでしょうね。
この10cmも無い人形は、伊勢堂岱遺跡から発見されたものですって。
ターバンみたいですよね。
長い髪を束ねたんでしょうね。
茸の形も出てました。

鴨巣遺跡、伊勢堂岱遺跡、米代川、秋田。

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2004.11.13

伊勢堂岱遺跡  秋田の話

 伊勢堂岱遺跡の今年最後の説明会が現地で鷹巣町教育委員会の主催で13日(土)行われますね。
 能代の二万年前の縄手下遺跡、1000年前の鴨巣遺跡から何キロ離れていると言うのでしょう。
鷹巣町の伊勢堂岱遺跡。ストーンサークル。
 能代にもまだまだ発掘していない手付かずの場所がいっぱい有るそうです。
地震で崩れているのかと想ったら、遺跡に断層が有りながらも、遺跡は残っているそうです。
ブルドゥザ−で壊さないと壊れないんですね。
壊さない内にいっぱい見つけてもらいたいものです。
 
 九州で探しても見つからない、邪馬台国、秋田にあったりしてね。

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2004.11.12

能代市の鴨巣遺跡   秋田の話 

 先日、高速道路を造るにあたってすすめられている遺跡を見て来ました。
先週行こうと想っていたのですが、天気が悪いと滑ってコロンで危険だからと天気の続いた翌日狙いで行きましたら、空中撮影の日で、撮影終了後の三時過ぎに、伺いました。
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 この遺跡の西に、2キロ行くと、2万年前の遺跡、縄手下遺跡の有るところです。能代は発掘がされていない遺跡が沢山あるところだそうですね。
北側の下に国道7号線が行き交い、東側に羽州街道、南に丁度、檜山安東氏城館跡があります。海抜75〜85メートルの高台は、やぐらを建てれば丁度、西側には日本海も臨めます。棚田のように土地が改良されていて、現代の団地のようでした。
住区、製鉄加工区、沢にそっての水平に改良された土地は、実に生活しやすそうな営みが感じられました。
珍しい縦穴住居のカマドが完全な形で残っていて、炊き口とカメ穴は、屋内。煙り出し穴は屋外と造られて、冬場も暖かそうな、2間X2間の広さです。
カマドが完全な形で残ってる事は稀な発見だそうです。
床の中央が硬く踏み締められた家屋もあれば、
床に木が敷かれ、その上に板が有り、食器が並べられていたのも昨年発見されていたそうです。
幸いにも2軒の消失家屋が有り、板張りの床が見つかったそうです。フローリングですよね。
 
 天慶の乱から前九年の役・後三年の役の頃の遺跡ですよね。
この土地の人々も海外と交易してたんでしょうね。 

 今回の調査後、道路工事の為、ここ一体は、道路工事用の土砂として消失してしまうそうです。
あと1週間でなくなちゃうんですね。

 今月、19日まで見学可能だそうです。
その際は、鴨巣遺跡事務所 電話 090-2790-7849 へ。

鴨巣遺跡 縄手下遺跡 檜山安東氏城館跡 天慶の乱 前九年の役・後三年の役 秋田・能代

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2004.11.11

北東北の話


 今、東北新幹線に乗るとあの、岡本太郎の二万枚の写真の一部が席に置いてある雑誌に掲載されているんです。
岡本太郎は北東北の人に感じて、写真してたんですね。
男鹿のなまはげや、町の些細な風景に東北を感じさせる撮影に、蝦夷、縄文を表題にするのが、妙にうなずけますね。
 この処、新しく見い出されている遺跡は縄文時代と弥生時代が、ぶなの森の縄文文化と針葉樹林の弥生文化が同時進行であったことを証明して行くようでワクワクしますよね。
 青森の三内丸山遺跡の3900〜5100年前から、機織り機が無くても布地が作れていた事が判ってしまいましたそうで、もう文明文化が今まで想っていたよりも発達していますものね。
日高見国の縄文、夜万等の弥生ですね。

そうそう、蝦夷って言い方ですけれどね、気になりますね。

『大和の古代王朝は東へとその版図を拡げていきました。そして、その征服過程で、抵抗する人たちを”まつろわぬ人” といい、”エミシ”』

この”エミシ”は、あくまでも支配した側が、優位に話を広める為、歴史の宣伝・正統性で使われる差別用語ではないでしょうか。

差別用語として、アイヌの人も含め、東北在住民族をエミシと呼んで、蔑視していたと想われます。

今では、ネイティブアメリカンと呼んでますが、かっては、インディアンと言ってました。インディアンも差別言葉ですね。

 藤原経清も多賀城に来た時、話では文化の低い人々。服の着かたも知らないし、男女の礼節も無いように聞かされて赴任してきたようでしたね。
それがどうでしょう、言葉も挨拶も礼節も身なりも素晴らしかったので、安倍氏に納税を止めさせ、独立体制を創って行く様に安倍氏を手伝いだしてますものね。
蔑視するような民ではないと信じたのでしょう。

東北の地に住んでいた、高貴な先住の民、とでもお呼びしましょうか。

日高見国がもっと有名な認識であれば、日高見国の人で簡単ですね。

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2004.11.05

能代の大地にある鴨巣遺跡

 10ー11世紀の防御性集落の発掘が北東北であいついでいるそうです。
秋田の高速道路予定地からも出ていて発掘後は道路になるそうなんですね。
能代市の高台にある鴨巣遺跡。
槍や弓は人を殺める為のものではなかった先住民が、造らなくてはいけなくなった防御性集落跡。
その後の時代、封建制成立の鎌倉幕府の全国支配へと続くんですよね。
 雪の降る前に見ておかないと見れなくなるんでしょうね。
11月19日まで見学可能だそうですが、工事現場の為連絡の必要が有る様です。
 939年秋田城を攻めた、天慶の乱。
1062〜1087年が前九年の役と後三年の役。
 城を作り入り込んで来たには横柄になった秋田城を攻め、殆ど勝利しつつ、朝廷に勝ちを譲った、侵略されてる意識の無かったようなおおらかな民の大地。
陸奥を安倍氏、出羽を清原氏が治めて大和が入り込むすきの無かった時代に、河内源氏が清原氏の家来になると言う名簿(みょうぶ)が、清原氏に渡されて、清原氏が安倍氏を滅ぼし、清原氏の均衡も崩れ無惨な戦いの続いた頃の遺跡ですよね。
征服された側の歴史はほとんど判っていませんね。
かたち有る保存出来ないものでしょうか。

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2004.11.01

一雨ごとに

一雨ごとに、暖かな今日この頃?
10ー11世紀の防御性集落の発掘が北東北であいついでいるそうです。
秋田の高速道路予定地からも出ていて発掘後は道路になるそうなんですね。
能代市の大地にある鴨巣遺跡。
槍や弓は人を殺める為のものではなかった先住民が、造らなくてはいけなくなった防御性集落跡。
その後の時代、封建制成立の鎌倉幕府の全国支配へと続くんですよね。
 雪の降る前に見ておかないと見れなくなるんでしょうかね。
939年秋田城を攻めた、天慶の乱。1062〜1087年が前九年の役と後三年の役。
征服された側の歴史はほとんど判っていませんよね。
かたち有る保存出来ないものでしょうか。

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