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2004.11.11

北東北の話


 今、東北新幹線に乗るとあの、岡本太郎の二万枚の写真の一部が席に置いてある雑誌に掲載されているんです。
岡本太郎は北東北の人に感じて、写真してたんですね。
男鹿のなまはげや、町の些細な風景に東北を感じさせる撮影に、蝦夷、縄文を表題にするのが、妙にうなずけますね。
 この処、新しく見い出されている遺跡は縄文時代と弥生時代が、ぶなの森の縄文文化と針葉樹林の弥生文化が同時進行であったことを証明して行くようでワクワクしますよね。
 青森の三内丸山遺跡の3900〜5100年前から、機織り機が無くても布地が作れていた事が判ってしまいましたそうで、もう文明文化が今まで想っていたよりも発達していますものね。
日高見国の縄文、夜万等の弥生ですね。

そうそう、蝦夷って言い方ですけれどね、気になりますね。

『大和の古代王朝は東へとその版図を拡げていきました。そして、その征服過程で、抵抗する人たちを”まつろわぬ人” といい、”エミシ”』

この”エミシ”は、あくまでも支配した側が、優位に話を広める為、歴史の宣伝・正統性で使われる差別用語ではないでしょうか。

差別用語として、アイヌの人も含め、東北在住民族をエミシと呼んで、蔑視していたと想われます。

今では、ネイティブアメリカンと呼んでますが、かっては、インディアンと言ってました。インディアンも差別言葉ですね。

 藤原経清も多賀城に来た時、話では文化の低い人々。服の着かたも知らないし、男女の礼節も無いように聞かされて赴任してきたようでしたね。
それがどうでしょう、言葉も挨拶も礼節も身なりも素晴らしかったので、安倍氏に納税を止めさせ、独立体制を創って行く様に安倍氏を手伝いだしてますものね。
蔑視するような民ではないと信じたのでしょう。

東北の地に住んでいた、高貴な先住の民、とでもお呼びしましょうか。

日高見国がもっと有名な認識であれば、日高見国の人で簡単ですね。

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